神様の偏在性について

1、この問いに対しては、通常

『神様はどこにでもおられす。』

と答えます。

しかしそうでしょうか?

ここで神様の構成要素を考えて見ま

しょう。

統一思想でも明らかにされています

ように、まずもって様は無形な方

です。

無形とはどういう事でしょう?

無形とは目には見えないという事で

す。

では目には見えないけれども存在は

あるという事になりますが、お父様

は霊界に行ってもやはり無形で目に

は見えないと仰っています。

それでは、目には見えないけれども

存在するという事はどういう事

ょう?

空気もそうですね。電気もそうです。

電話の電波もそうです。

霊も基本的には目には見えません。

しかしながら存在します。

さて、もっと良い例があります。

それは私達自身の心です。やはり目
には見えません。

しかしながら当然の事ですが、しっ
かりと存在します。
存在するばかりか私達人間の本体は
身体ではなく心ですね。


 2、ここで不思議な事があるので
すが、私たちは堕落した為に、本
感知できるはずであった霊界や
天界が見えず、聞こえず、触れら
れず、臭いをかげない、味覚を味
わえない、と言う様に霊的五感が
閉ざされてしまいました。

これは勿論霊界に行って霊人体だ
けになればその霊的五感は回復し
ます。

 

そこで霊界に行っても見えないと
言う神様は普段一体どこにおられ
るのでしょう?

それが問題です。

創造目的や、被造目的が重要だと
言っても肝心な神様を把握出来な
ければ何も始まりません。

また、私達が神様の子供だと、八
定式を登り詰めたなら神様の相対
なり最後には神様以上の愛な
存在になり、神様自体までも感動
する存在我々がそうなると言っ
てもその肝心な神様を良く把握
出来ないとしたらどうしましょう?
『一体神様は普段どこにおられて、
何をしておられるのでしょう?』
この問いがまず最初です

 

3、一つの結論から言いますと、こ
の神様との授受作用がうまく出来な
為に、仕方がないので、取りあえ
ず組織の上席の者をアベルと呼んで
神様の代わりにその人の命令に従う
様になりました。

そういう人は実際はアベルでも何で
もないのですが、やむなくそうして
来ました。

それは神様が分からないからです。

神様を把握し、神様の考えを感知
し、目の前に起こるすべての事象
し神様と話をしながら毎日を送っ
ていないからです。

もし私たちが一日24時間毎時間、毎
分、毎秒神様を把握できて、極めて
近く感じるのであれば、もう少し楽
く、刺激のある、喜びに満ち溢れ
た、洋画のスパイ物よりもスリルと
感動に満ちた毎日が展開する宗教
体になっていたのではないでしょう
か?

 

4、さあそこで、神様を把握して分
るようになる為の具体的な方策が
あります。

それが実はこのホームページの目的
もある『正しく正式に神家庭教会
出発宣布式をする』事に他なりませ
ん。

何故そうなのでしょう?

正式に神家庭教会を始めますと、ま
りなりにも八定式を登る登山列車
に乗り込む事が出来るようになりま
す。

そうしますと、どんどんと毎日原理
論に書かれてありますように
『日々の復活現象』が始まります。

 

僕の僕から僕、そして養子、庶子、
子、母、父、そして神様まで
階の成長を遂げることが出来る
ようになっています。
その八段階と言うのは実は自分と
神様との関係を意味しているので
す。

ですから正式に神家庭教会出発宣
布式をして神家庭教会を始めたと
しても、神様との関係はまずは僕
の僕からです。

僕の僕とは旧約時代の前の時代で
す。

エバがルーシェルの誘惑をはじき
返すという責任を果たせなかった
事により、その後の人類はすべて
ルーシェルの不倫の血統に成り下
がりました。

ですから僕であったルーシェルの
です。

神様の血統とは完全に違います。
ルーシェルの血統です。ルーシェ

ルの子孫です。

それでその後の神様の復帰摂理が
進展した為に、僕の僕から僕の時
に一段階登れる様になりました。
それが旧約時代です。イスラエル
民族の時代です。
ですからダビデも『主の僕の詩』
を詩編に載せています。
僕ですから神様の血統にはなって
いません。

養子はと言いますと、これもまた
神様の血統ではまだありません。
家督の相続も将来的に見て、他の
血統の子供を家族に迎え入れます。

実はクリスチャンは養子の立場で
す。

何故でしょう?それは実の子女であ
るイエス様の血と肉を頂き、イエス
様を通して主なる神様に出会おうと
するからです。

しかしながらイエス様の様に真の意
味で血統が神様の血統になった分け
はありません。そこに限界があり
ます。

再臨のキリスト・イエスがやって来
て、子羊の宴会を催し、血統を真の
神様の血統に変えて頂くまでは、
はり血統は変わっていません。

 

次にその再臨の時が来て子羊の宴会
に参加出来れば養子から庶子に変わ
る事が出来ます。

庶子はまがりなりにも血統は神様に
つながっています。

ただ完全な認知には至っていないと
いう事です。

普通庶子は妾の子と認識されます。
妾という事は本妻ではないという事
です。

昔ならばその父親が亡くなった時に
家督の相続権はありません。

それで神様は次の段階である実子の
段階を用意しています。

庶子は言ってみれば、家庭連合に伝
道されてまだ祝福を受けていない段
階。

また家庭をもって子女を設け四位基
台までに至っていない段階は庶子に
近いと判断できます。

ところが祝福を受けて子女をもうけ、
四位基台を造成するようになります
と、実子の段になります。

イエス様は同じ神様の血統家族の神
のみ旨を実践する同じ兄弟同志と
なります。

また、父母の段階になります神様
の心情圏は手に取る様に分かる様に
なります。

そして父母の段階以降はただただ神
様を解放する立ち位置になります。

そしてお父様やお母様の庇護の元に
生きるのではなく、御父母様を助け
第二のメシアとなって行きます。

それで家庭教会メシア、氏族的メシ
ア、民族的メシア、国家的メシア、
世界的メシア、天宙的メシアと言
う称号が存在するのです。

 

ですから『正式に神家庭教会出発
宣布式』を皆様取り組んで見て下
さい。

とんでもなく神様を近くに感じる
ようになります。

また家の中に、夫婦の間に、親子
の間に、はっきりと神様がクッ
ョン材の様に間をうずめて下さる
ようになります。

『神と共にある生活』が文字通り
始まる様になります

 

5、さあ、それ以外に敏感に神様
を感じ、把握する方法考えて見
しょう。

それはこうです。

『神様の天地創造を、お父様の祈
祷文の様に、自ら神様に語り掛け
て、その反応に耳を傾けてみるの
です。』

「神様、あなたはアダムエバを神様
の全生命をかけて愛されたので
ね?!」

 

「そうだ。その通りだよ。
解るかい?どれほど私が愛し
か!」

 

「それなのに、アダムエバがその責
任分担の如何に重要かの意味が判
ず堕落してしまって、あなたはすべ
てを失ってしまわれました。

そうですね?!」

 

「その通りだ!良く判ったね。
あなたは立派だ。

その事がすべての始まりなんだよ。

それが分かる食口があまりにも少な
い。

だから私神様が分からないし、感じ
られないし、把握できないでいる。

単に頼み事をされるあるじになって
いる。

だいたいにして、自分の頼み事の解
決策は既に神良心作用において解
出来るように創造してある。

頼み事、願い事は自分の神良心作用
のスイッチを入れれば解決していく
様になっている。」

 

この様に、会話をするような祈祷ス
タイルに挑戦して見て下さい。

必ず神様を近くに感ずる様になりま


 

次に必要なのは、日々愛を中心に感
動する生活を心がける事です。

何故必要かと言いますと、復帰摂理
を自分自らを中心人物として進めて

行く上で最も注視すべき事は、ズバ
『ストレスを感じないように、ス
トレス対策をしながら常にフレッ
に日々を生きる必要がありま
す。』

これもまた人間の、自分自身の責任
分担です。




ここで責任分担とは何でしょう?

それは言ってみれば、他の誰も口を
出さないという事です。

自分で考え、自分で行動を起こし、
自分で解決する事です

 

実は自分自らの復帰摂理や自分たち
の集合体である教会自体が責任分担

を果たせないのは、自分自身が自分
自身の責任分担を果す時の、その原
理的枠組みを正しく理解していない
所から生じています。

その原理的枠組みで最も大事な観点
が、実は責任分担には第三者は介入
ないという事です。

自分と相手だけで第三者は介入出来
ません。

介入出来ないとは事態を決する権限
は持っているようで実は持っていな

いと言う意味です。




エバがルーシェルに誘惑された時に、
実は神様は第三者の立場でした。

介入する権限がありません。

事件とはいつでも一人では起こりま
せん。

この場合はエバとルーシェルです。
この二人の問題です。

この二人の責任分担の問題です。

そしてこの二人の立ち位置はエバが
主体であり、ルーシェルは対象の立
場です。

皆様ルーシェルが誘惑を起こしたの
だからルーシェルが事件の主体だと

思われるかも知れませんが、そうな
ってはいません。

それにだいたいにして「取って食べ
てはならない!」と言うみ言葉はエ
に語られたのであって、ルーシェ
ルに語られたのではありません。

それにエバはどんなに幼かったとし
ても「腐っても鯛」です

ましてやまだ腐ってもいない「鯛の
王女様」です。

ですから自らの出処進退をかけてみ
言葉を守り実践する主体に立ってい
のはあくまでもエバです。

ルーシェルではありませんでした。

 

ですから第三者である神様の介入無
く、ルーシェルをいなし、ルーシェ
に罪を犯させないようにして、自
らの責任分担である、取って食べず
アダムと共に成長期間を完成して、
天宙の王の王、王妃にならなければ
なりませんでした。

そうです。

その様に考えて見ますと、

エバの責任分担は100%本人にか
かっていました。

 

よく95%と5%の話が出てきます
が、捉える意味が少し違います。

天宙の創造やアダムエバの創造、ル
ーシェルの創造や各自の責任分担を
けたのはあくまでも神様です。

ですから95%は神様がお膳立てし
ました。舞台は神様が造ったのです。

しかし演じるのは100%出演者で
あって、監督の様な神様は公演のそ
の場にあっては黙って見ている事し
か出来ません。

およそ復帰摂理とは人間が主体です
るものです。

神様ではありません。

もし神様単独で復帰摂理が出来るの
であれば、150万年前のアダムエ
創造時、堕落後即、1秒もかから
ずに終わっていたでしょう。

復帰摂理は神様がするのではなく、
人間自らの責任分担が連続して果た
れていくその先に初めて見えてく
るものです。

ですからものすごく時間がかかる訳
です

 

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